法人税は減税って言っているのに、国民生活第一と言う党はやる事が違いますね。
信です。
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今回は、神田昌典氏の成功MAPです。
多くの成功者が、「利益がすべてではない」「与えることが重要だ」といいます。 これは、事実です。
私はコンサルタントとして、与えることを優先したために失敗する例をたくさんみてきました。利益ばかり追わずに人に与えることで社会の役に立ちたいと考えても、そうそう最初からうまくはいかないものなのです。
与えるよりも先にキャッシュフローが大切だということでした。資金が回らなければ、企業は継続できません。とても、人に与えることなどを考える余裕はありませんでした。“これからの人”が成功者の話を鵜呑みにすると危険だということなのです。
与えることには、それをすること自体によって心が満たされてしまったり、自分より力のある人に利用されてしまったりする危険があります。
いくら努力しても、成功する前に挫折してしまったり、人に利用するだけ利用されて終わってしまうのです。 与えることがその人のためになるかどうかは、人生のどのステージにいるかで違ってきます。
成功に向かう最初のステージで大事なのは、与えることではありません。「受け取る」ことです。しかし、多くの人が「受け取る」ことに罪悪感を感じています。
多くの人が、エゴを罪悪視しています。エゴというのは、自分の生存の安定性を求めることです。それなのに、それを自分勝手なことだと思っている人が多いのです。そのために、素直に「受け取る」ことができないのです。
「受け取る」ことができなければ、安定したキャッシュフローを維持することはできません。お金が回らなければ、企業は潰れてしまいます。
「受け取る」というエゴを正面から認めればいいのです。受け取って、あとで大きく返してあげればいいのです。「与える」ことと「受け取る」ことが循環のサイクルに入ります。
相手の好意を受け取ってしまったら、「返さなければならない、嫌だな」と思う気持ちがあります。これは隠れたエゴです。「受け取る」エゴを正面から認識できないことが、心の奥深く隠されたエゴに気づけないことにつながっているのです。
自分が満たされていない限り、人に与えることは難しいといっていいでしょう。
エゴを認識できて、エゴが満たされている人は、自分が幸せなのですから人を傷つけることがありません。エゴを満たすことは、自己を確立する大きなステップだと考えればいいのです。
エゴというのは自分の生存の安定性を求めることなのですから、エゴ自体には善も悪もありません。エゴはコップの水のようなものです。満たされればあふれた分を人に与えることができます。
自分で満たした水なら、自分で汲んできたものなのですから、人に水の在り処を教えることもできるのです。
キャロル・S・ピアソンのライフサイクルの考え方をもとに、教育者・神智学者のルドルフ・シュタイナー、心理学者のカール=グスタフ・ユングの考え方を取り入れて、私が構築したものです。
人間の心理には、まずエゴがあり、魂(ソウル)があり、そしてセルフがあると、ここでは考えています。
初めは誰でも、「無垢」な状態でこの世の中に生まれてきます。それが、物理的に親から離れたり、学校に入ったりして社会に出て、「孤児」と呼ばれる状態に進みます。
さらに、学校でいじめられたり、親が自分を理解してくれないなど、さまざまな経験を経て、次の「戦士」の段階になります。ここで、冒険に出かけるために、鎧が必要になります。
お伽噺の「桃太郎」では、桃太郎がイヌやサル、キジなどの従者を従えて鬼が島に鬼退治に行きます。桃太郎がおじいさん、おばあさんのもとを離れて(孤児)、鬼が島に鬼退治に出かけることを決意します(戦士)。そして、その過程で、まずはイヌ、そしてサル、キジに出会い、キビ団子を分け与えます(世話人)。そして、この仲間を得て、いよいよ鬼が島への冒険への準備が整います。
この段階では、桃太郎は、悪い鬼を倒して、金銀財宝を手に入れようというエゴに基づいて行動しています。
つまり最初の段階では、本格的な冒険に出発するための十分なエネルギーを得るために、金銀財宝というエゴに基づいて行動しているのです。
このようなお伽噺や神話はそれぞれ別の話のように思われていますが、実のところ突き詰めればほぼ同一のパターンに集約されるのです。それが、ヒーローが成長して挫折し、そこから復活する」というストーリーです。
このエゴの段階では、自分自身をしっかりと確立することが目的です。
使命を持って、世の中をよくしようと挑戦するものには、鎧が必要です。どんなに崇高な理想を掲げても(実は、崇高であればあるほど)世の中には、それを蹴落とそうとする輩が大勢います。
世の中は矛盾に溢れています。その矛盾を超えて、使命を実現する力を持たなくてはなりません。
ところが成功法則は、すでに鎧を十分身にまとった強者により教えられることが多いために、初心者にとっては勘違いを起こす危険性がある場合もあります。
「与えることが重要だ」という教祖を信じるばかり、信者は教祖に与え続ける。教祖は奪うだけ奪って、信者は身ぐるみはがされる。
「与えることが重要だ」という言葉を、教祖が使った場合には、極めて効率のよい集金メカニズムになるという側面を認識していなければなりません。
どんなに世の中のために身を尽くしてきても、ある一瞬の判断を誤り、人生の終盤を刑務所で過ごすという落とし穴はそこら中にあるのです
エゴが確立される、つまり外側の殻をしっかり強くし、自分を守ることができるようになっても、エゴのコップの中が空っぽだと、心は満たされることがありません。
次の段階は2つめの円のステージということになりますが、これは水を得る、つまりソウルを得る段階になります。
2つめのソウルのステージに到達するまでにエゴを確立していないと、すなわち欲望や悪というものを知っていないと、その後の人生で惑わされることになります。
エゴを確立し、ソウルを満たして、そこではじめて自分の存在に気づくということなのです。それは空気のようなもので、セルフと呼ばれます。
この段階になると、個と全体、自我と社会の境界がありません。社会のことを考えながら自分を確立していく時期なのです。これが、3つめの円のステージです。
このライフサイクル理論は、ダイナミックな変化を前提にしています。それに対して一般的な成功法則は、変化が起こらないことを前提にしています。
世の中に変化しないものはないのにもかかわらずです。これが、一般的にいわれる成功法則を実行する人が道を誤る理由です。
成功にもステージがある。ということですね。
自分がどのステージにいるか。これから先どうゆうステージがあるのか。その問題は。対策は。考えることがいろいろありますね。
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