じいさんがカイコをやめてみかんを栽培し始めた頃は、高度成長に乗ってガンガン売れていた時代でした。
黄色いダイヤと言われて、その当時の価値で㎏200円。
みかんの形をしていたらいいので、成らしっぱなしで10a当たり5tから10tくらい採っていたそうです。
その当時を知る人に聞くと、東京の銀座の土地が買えたのに、何で買わんかったんやろか?とか、飲み屋のツケは年二回払いで束で持っていったとか、取りカゴ一杯あれば一晩飲めた。とか、景気のいい話を聞きます。
ですが、そんな景気のいい話は長続きせず。
昭和43年の大干ばつ。
昭和47年の豊作やグレープフルーツの輸入自由によって暴落。
それから後は、一年毎に取れる年。取れない年を繰り返しながら安値安定に向かっていきました。
じいさんの後に家を継いだおやじは、ハウスみかんを始めたり、極早生みかんをいろいろ植えたりとしていきましたが、忙しいだけ。生活だけで手一杯でした。
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