2010年11月24日水曜日

レバレッジノート14

「前原誠司外相は23日、訪問先のオーストラリアでエマーソン豪貿易相と会談し、農畜産品の扱いを巡って停滞している日豪経済連携協定(EPA)の交渉を2011年の早い時期に再開することで一致した。日豪EPA交渉は07年以降に11回開催したが、農畜産品4品目の扱いで隔たりが残っている。前原外相は「真剣に国内調整を進める」と表明。エマーソン貿易相も「交渉の再出発を歓迎する」と応じた。」(日本経済新聞)

前原さん。国内調整できてるんでしょうか?そもそも党内調整は?

マネジメントをきちんとしないと、今の民主党みたいになります。



信です。

インターネットで拾った記事をレバレッジメモにしています。

もし気付きがありましたら、気軽にコメント下さい。



今回は、神田昌典氏の仏の経営それとも鬼の経営です。



鬼の指導は、確かに効果的。ところが仏の指導はもっといい。一番ダメな会社は、何もマネジメントがないところだね。

社長の気の向くままにやっている会社が成長していくと、ある時点でドーンと障害にぶつかることになる。右腕と信頼していた社員がクーデターを起こす。社員が病気になる。取り込み詐欺にやられる等の現象である。

試練を乗越えない限り、次の段階にはいけない。

ピーター・クライン先生は、世界的なベストセラー「エブリディ・ジーニアス」の著者である。グッド・アンド・ニューという方法は、校内暴力が多発する学校で、暴力的・後向きの生徒を、協力的・前向きに変えるために、クライン先生により考案された方法である。

グッド・アンド・ニューのベースになっているのは、NLP(神経言語プログラミング)でリフレーミングと呼ばれる手法である。

障害や問題が起こったときに、その出来事を別の角度から見ることによって、意味をプラスに解釈する。それを組織内で、毎朝繰り返すことによって、プラス思考を習慣・定着化していくのだ。

この方法は、ボールを使うところがミソである。ボールがないと社員は思うように喋れない。手をガチガチに固めて、下にうつむいたまま、自信なさげに、ぼそぼそ喋るだけである。

ところがボールを手に持つと、ボールを手の平で転がしたり、ポーンポーンと投げながら、話をすることになる。このような活気ある動作をしながら、否定的・暗いことを話すのは難しい。

身体と感情は関連しているからであって、意図的に身体を調整することにより、感情は明るく変わるという理論を実践レベルに落とし込んでいる。

会社とは経営者にとっても社員にとっても、学びの場、教育の場である。

会社を巡る環境が数ヵ月後には変わる時代である。すると社員をどれだけ早く変化に対応できるよう、教育することが競争力の源泉になってくる。

このような加速学習法をビジネスに取り込めた場合、その競争力は単なる商品の市場ポジショニングや競合ポジショニングという枠を越えて、組織自体、そしてその組織を構成する社員一人一人が競争力を持つという全く新たな段階に入る。

ピーター・クライン先生という方がいらっしゃいまして、彼が「こうすれば組織は変えられる!(フォレスト出版)」というような本を日本で出した。

5億の会社が10億になるというのはどんなイメージがあるのでしょうか。大きな変化ですよね。いろんな意味で会社の仕組みも変えなきゃいけないし、人の問題も当然変わっていく。それぞれのリーダーシップとか、役割も変わっていくという状況の中でちゃんと収益を上げて、お客の満足も得ていかなきゃいけないというダイナミックな状況ですから。

例えば10億の会社を30億にするというのと、5億の会社が10億になるというのは結構大きな開きがあるのではないかと思うのです。

例えば10億以下で終わる会社ってすごく多いじゃないですか。でも、10億という数字にいくためには、5億から10億の間という、通常の会社よりもより大きな変革というものを短期間で達成しなくてはいけない。

数億の会社が10億という規模になって社員が多く入って、そこを社長がリーダーシップを持つということほど難しいことはないのではないか。

そのへんが一番わかっていて、面倒くさくて手がつけられない。そういうところって何かありますよね。

売るほうに意識がいくというか、どうしても売り上げになりがちですから、実は何か一番大事なことをみんなが忘れてしまっていた、みたいなところを何か感じますね。

やっぱり自分とちょっとウマが合いづらかったナンバー2とかですね。メンバーがいまして、しばらく一緒にやっていたのですが、しっくりこないままにずっときていて結局そのまま大きくなっていって、最終的には決裂した感じだったのです。

やはり悩みの多い会社というマネジメント組織を、どうやってマネジメントしていったらいいのか分からない会社が即、会社を運営しながら人も変えていくというある意味で曲芸的なことができるようになるのではないかと僕は思います。

結局、社長が、私自身がやっぱり外にいくのが好きで、中を割と任せっきりになっていて、社員自体がナンバー2の人間を慕うというか、結局トップとの差が、どっちを信じていいか分からなかった部分がね。吹き込まれているって、やる側からいったら違うかたちになるのでお互い様なのです。でも、結果的にはどっちをどう信用して走っていいかわからないし、どの道が私たちの行く方向なのかということが見えないので、結局、社員が不安でパワーが出ないからね。それに対してものすごく結果的にあとから見たら、すごく悪かったなと思っています。

やっぱり疑心暗鬼が起きますし、すごくお互い同士が疑い合ってちょっと何か声が暗くなったりとか、やっぱり売り上げがあまり活気づかなかったりとか、行っても何か楽しくないとか

社員の問題というのは非常に悩み相談として多いところで、彼らにとって非常にキツイのは、これをお聞きの皆さんもそうかもしれないですが、それで頭の中がいっぱいになっちゃうことですね。ですから、何か資金繰りと双璧みたいなところがあって。

結構、潜在的に多いですよね。私も聞くのは、社長がとにかく朝礼でゲキ飛ばして、ゲキを飛ばしている社長のほうが疲れちゃうんだみたいな。(笑)要するに、僕はゲキを飛ばしているけど、ほんと本人は疲れているのですよみたいな。

一人を呼び出してこんこんと膝を突き合わせて話をする。そうすると、そこでグッときて、社長がやりたいことはこうだったのですね。言いたいことはこうだった、わかりましたと言って、3日後には元に戻っている。

やっぱり売り上げが悪いのもツライ、売り上げの悪さって数字を見た時には目の前にある。でも数字を見ない限りは社長の目の前にはあまり出てこない現象だけど、人って目の前をうろうろしているので。

僕が思ったのは、自分自身でも会社が2倍、3倍と大きくなってくると、やっぱり急速に成長すると、社員ってついてこないじゃないですか。

一番嫌だったのは要するに、なぜここまで僕がやっているのに、僕がバカ、低能のように言われないといかんのと思って、給料を払っているのはどっちなのというね。

批判される、非難される。あなたがいかにも格好悪い社長で、低能な社長で、仕事をしていないかということを言われるわけです。それは面と向かって言うわけではないけれども、

私も長い期間たくさんの会社を見ていますけど、伸び始める直前に必ず起きる。

 悩んだ時にやはりマネジメント・メソッドというものをきちっと突き詰めて、人間がどういうふうに変わるかというのを突き詰めて、一体それをどうやってステップで組み立ていくかということをやり始めてやっぱり1か月か、2か月だね。3か月たったかな、3か月ぐらいでやはり大きく変わりました。

やっぱりみんなが一体感を持って一つの目的に向かってワイワイやっているというのが今まではなかったですから、すごく楽しいですよね。

ニックネームとかで呼ぶようなことを思いっきりしましたから。そうすると、やっぱり垣根がなくなってきて、自由に自分の意見を言いやすくなったから、社長の自分に対しても「ガッツさん」と言っていますから、やっぱりすごく気楽になりました。

社長だ、なんて肩肘張らずに済んでいる。にもかかわらず、人は動く。メンバーからも言いやすくなっているから、やっぱり今まで入ってこなかったり、遠慮していたメンバーが入ってきたりすると、やはりいろんなことに気づいたりとかということで、循環がよくなってきたなというのが実感としてあります。

やっぱり自分から進んで仕事をやるようになる。そういうチームができてくると、タイムカードを押してから能動的にさらに仕事を続けるとか、日曜日も平気で出てきて、「おまえゴルフやるんじゃないのか?」、「いや、ゴルフより仕事のほうが楽しいです」とか、そういう話というのはそれができてない組織から見ると夢のようなことだけど、実際それはある特別な人に起こるわけではなくて、組織が変わってくると、普通の社員に起こってくる。パートさんでもね、アルバイトでも起きるね。

ちょっと人間関係で合う、合わないという話が出た時に、そのチームのアルバイトの女性がチームをうまくさせるために、ちょっと私こう動こうと思うのですけど、やっていいですかみたいなね。

何がおもしろいかというと、一人一人がそこまで会社にコミットして、この会社は楽しい。パートでもバイトでも、私こういうふうにやってみたいのですけど。そして、日曜出勤も辞さないみたいなね。ところが、そういう会社が多いかというと、どうでしょう。

軍隊的な組織は、軍隊的な組織のほうが、規律がないよりはもちろんいいのだ。

人のクリエイティビティというのを発揮させる、要するにガッツ社長のところのように、人が本当に自分で楽しんで仕事をやってクリエイティビティを発揮できるということを考えるには、要するに仏というか、もっと楽しいエンバイアンメント、環境というものをつくらないと駄目なのだ。

ノードストロームなんかで言われるサービスというのはマニュアルであり得るわけではなくて、結局お客さんに対する気遣いとか、ある意味では感謝とか敬意とか、そういった感情を通じて態度が出てくるわけじゃない。それがお客から見ると、伝説となるサービスみたいなことだと思うわけです。

いわばマニュアルで、黙ってこれをやれとか言ったところで、それだけのサービス・クオリティが生まれるかというと、それはないだろう。

昔はよかったのかもしれないですね。ある意味で、軍隊式で規律を持って命令すれば日本の教育システムみたいにきちっとやっていくということであれば、全然問題なかったでしょう。だって何かというと、モノをつくれば売れたわけだからね。

やはり情の部分というものを切り離していかないと、社長たる者はきちっとした経営ができないだろう。そういう議論ってあると思うのですが、どう思いますか。

しかし、好きじゃない人間のために一肌脱がないでしょう。社長も愛情というものを示してあげる必要があるのだろうな。あなたのことを必要としているのだというラブコールをしなければ。

チームのほかのメンバー同士でもそうだし、私はあなたを必要としている。あなたがいるから、これができてうれしい、ありがとうとかね。家族のような感覚を持たないと楽しくないし、どうしても駒扱いというか、要は一つの将棋の駒みたいになりがちですわ、組織論でいっちゃったら。

達成感って感情で味わうなら数字もあるけれども、何かちっちゃなことでもちょっとした成長がうれしく感じるとか、そういうことを気づいて言ってあげるとか、それでニコッと顔がほころぶようなことにすごく意味があるというか、それを味わうためにやっているようなところが最近の僕はあります。

やはり家族的な雰囲気の中でお互いサポートし合って、信頼し合って、お互いの成長ですよね。

家族的な雰囲気、もしくはお互いの成長を喜び合う組織というものが経営にとっていいことなのだというような視点って今までなかったと思うのです。

働く人の感情、働く人の心の成長というものをどのように会社の枠の中でサポートしていくかというのは、ほとんど語られていないと思うのです。

規律ということが大事でありながら、さらにその上にビジョンであったり、ミッションだったり、それから楽しく働くべき。

鬼の上司が重要か、仏の上司が重要かという話ではなくて、規律もなくてはならないし、リーダーシップのあるビジョン、ミッションというのはなくてはいけないし、なおかつ仏の部分であって、人を父親的な父性でどうやって育てていくか。そういうところの三つが重なっていかないとならないわけじゃないですか。

会社もコミュニティの場所であって、その人間同士がかかわり合うことによって学んでいるにもかかわらず、会社が学びの場ということを忘れてしまって、自分の学びの場ということを忘れてしまって、利益追求する場所。もしくは、嫌々やらなくちゃいけない場所、そういうふうに認識されちゃっているのか。

彼が一番重視するのは何かというとチームワーク、まずはじめに組織を変える、学習の場を変えるためにはテクニック論に走っては駄目で、まずは人と人との信頼をつくり出さないといけない。それがミッション、ビジョンより先にあるのです。

否定的な学生に、必ず24時間以内に起こった良いことと、新しいことを一つでもいいから言ってくださいと先生が言うと、否定的な生徒は何というかというと、「バカ、そんなこと言ってられるかよ。いいことなんてあるわけねえじゃないか。こんな人生……」、そう言うわけです。

1日目はそうで、2日目も同じようなことを言っている。「バカ言っているな、いいことあるわけねえじゃん。最低だよ、おれの人生はとか、ネコ殺してやる」みたいなことを言うかもしれない。ところが、それが1週間もたってくると、否定的なことを言っているのも毎回毎回同じになっちゃうから飽きちゃう。そうするとある時に、「今日は晴れた、それはいいよね」というようなことを言い出して、そうすると周りのみんながパチパチパチとすごい拍手をするわけです。

その人がだんだん変わってくる。だから、短期間に非常にマイナス思考の人たちを常にポジティブな発言をさせることによって、もしくは自分で起こったマイナスのこと、問題点というものを常にプラスの面と捉えるという習慣づけができてくるわけです

今度は組織間のチームづくりというのは、ものすごくやりやすくなってくる。その時点でミッション、ビジョン、会社の企業理念を持ち出してくるということをやると、会社が非常に短期間で変わるわけです。

それまで直接コミュニケーションがとれなかったところがあっていろんな問題があったので、とにかく社内セミナーというか、みんなが集まって、僕はこう思っている、ああ思っているということをどんどん言い出しました。本音の部分で、ついてきて欲しいとか、でも、こういうことをしていきたいから頼むみたいなね。それで、社長が何をしたいか、どういうとこにいきたいか、というのがだんだん分かってきて近づき出したと思うのです。

いろんなちっちゃなことをして、ほかのスタッフが喜んでくれるようなことをした人には3か月に1回ぐらい表彰したりとか、そのようなちっちゃなことから、みんなが周りを見ているよとか、それをみんなで祝う。そういうことをし出したら、やっぱりいいねとか、うれしいわとか、そういうことでみんなが関心を高めていったね。

クーデターとか離反という現象は多くの場合、幹部で起こるという傾向が非常に明らかにありますよね。

ただ幹部というのはそこまでくるまでに、ある一つのベクトルでやってきたりとか、先ほどガッツさんがおっしゃった違和感というのは、ズレが生じてくることとか、お互いの信頼関係が何らかのきっかけで崩れたりすることで起こってくると思うけれども、そのズレがありながらも、元のところでやろうやみたいなことがあった人たちだから、去年入った新入生とかと違ってね。

やっぱりそういう人たちが大きく企業のステージが変わるというか、文化が変わるというか、そういった時に離反する傾向があるということでしょうね。

会社が新しい状況、新しいステージに立つ時にやはり方向性のズレが起こって、クーデター騒ぎみたいのが起こる。

経営幹部が出ていくと優秀と思われる人を引き連れていくということが起きてしまう。

社長として動揺するのは、売り上げがドーンと下がるのではないか。残った人間でちょうど同じ時期に起こった顕著なケースとしては、営業を支えていた人間が全員いなくなって、社長の非常に本音の言葉は、ガッツさんじゃないですよ。別の会社の社長さんの言葉としては、「辞めていってほしい人間だけが残った」みたいな。

ここでまたよく起こることは、売り上げは落ちないのね。

こちら側の新しくいこうとしている文化、方向性、ステージから見ると、妨げになっていたものがとれて、新しい土壌をつくれる素の状態というか、白いキャンパスというような状態になったところにきちっとそういう動き、活動を始めていけば、要するに短期間で変えやすくなっていくかもしれない、そういう見方をすれば。

経営者というのはエゴから始まるわけじゃない?エゴからどんどん自分は社会的な還元というふうに成長していかないと、会社自体も成長していかないわけでしょう。

社長がエゴの時期というのはエゴの強い人たちが集まるわけでしょう。その人たちが今度はまったく意識を改革していかないといけないので、やっぱりそれは辞めていくわね。

会社が次のステージにいくためにはどうしても必要なことだったわけじゃないですか。

信頼のつくり方というのは「グッド・アンド・ニュー」であるとか、あの本に書いてある「バリデーション・サークル」。それを正当化しよう、お互いの存在を正当化しよう、お互いの誕生を祝うというところで正当化できていくわけですよね。そのあとにビジョン、ミッションというのをきちっと決めて、価値観の統一を図ろうということじゃないですか。そうすると、それを常にやっている限り社内の不調和は起こらない。先ほど小阪先生が言ったようにズレが起こらないから、クーデターって起こりようがないと思うのです。 

社長はクーデターというかたちではなくて、これが起こったというのは自分のミッションと会社の方向性のどこがずれているのだろう。そこで私が何を学ばなくてはいけないのだろう、という学びの立場でクーデターを起こす人に対応できるはずなのです。そうした場合にこういう学びがあるのだったらということであって、お互い方向性が確認できたら、辞める時も非常にスムーズ。

ぐっちゃぐちゃだった組織がやはりチーム・マネジメントをやってお互い信頼感を持ってそのあとにミッションとビジョン、そしてクレドですね。

辞める人は自ら辞めると言ってくるのです。経営者の心の成長と会社の成長はバランスをとっていかなくちゃいけないのだけど、それが齟齬を起こしていったわけだよね。

経営者も会社の成長と同時に、心を成長させるという視点を持つ。もしくは、幹部のビジョンとかそういうものを浸透させるという認識を持っていくと、ステージごとの不用意なクーデターみたいのを防げるのではないか。もしくは、スムーズに次のステージに飛躍できるのではないかという気がするのだよね。

常にビジョンやミッションが語られ、お互いの承認がなされるようになってきた時に、ある方が冷静な判断をして、自分はいい会社だと思って例えば中途入社したけれども、確かにいい会社なのだけど、でも、自分のいるべき場所としてはちょっと合わないなというそういう非常に冷静な判断で身を引くというか、その方がもっといるべき別の世界にいくというのか。

自分はこの会社ではもう学ぶことはない。もっとほかのところで学べると思った時にはきれいにいけますよ

やっぱり会社というのが学びの場だ、明らかに学習の場ということを経営者も、社員も認識するということですよね。

経営者はもちろん利益をあげるのも重要だけれども、会社とともに経営者はいったい何を学べるのかということを考える必要があると思うのです。

その人のつくりたい世界に協力したいとか、そこに自分も住みたいというようなイメージにつながって、やっぱりビジョンとミッションが見えてきてつながってくる。

結構リーダーというのはそれを言えばいいかというと、それは構成メンバーが信頼関係を置いているかどうかじゃないと、それを言ったことによって大きく辞めていく人が出るかもしれないわけですね。辞めていくのはいいけれども、本来その異分子、クーデターをする第2異分子というものがいなければ学べないことってあるわけ、次の段階に成長できないことっていっぱいあったわけですよね。

経営者というのはそういった異分子というのを必要としているわけでしょう。

チームリーダーもしくはリーダーというのは異分子から学びを得ないと次の段階にいけないわけでしょう。

不用意にその人たちをポンと、もうおまえは他のところにいってくれという話ではなくて、やはりそれをいちおう取り込む努力をして自分のビジョン、ミッションというものはある程度頭のすみに置いておきながら、それを取り込む。

こいつらが駄目なのだ。じゃあ、もう切ってやる。俺が技術さえ身に付ければ全部入れ替えて、新しいメンバーで始めたほうが早いのじゃないか。これはやっぱり同じことが起こる。

やっぱりチャレンジして新しいものを創造していかなければいけないということを多くの方は感じていると思うわけですが

旗振り役はいるけれども、いろんな才能を持った人たちが結集する。弓矢の名人がいて、斧の名人がいて、魔法使いがいるという、いろんな才能が結集する一つのビジョンのもとに結集して目標を達成していくような力がやっぱり今の時代のチームの力として非常に求められていると思うわけです。

一人一人の個性とか特質とか、才能というものが最大化されていくような土壌ってどうつくっていくのかとか、そういうふうな会社であり続けて、なおそれがいまガッツさんがおっしゃっている下に連鎖していくためには、それがどういう文化として、あるいは文化の中のどういったルールとか、カリキュラムあるいは儀式としてつくられていかなきゃいけないのかということはすごく問われてくると思う。

もちろん利益を出す、株主に対する利益を出すという見方と同時に、教育の場という両方を考えていかなくてはいけない。それはしかも、創造性を発揮しようとすればするほど教育の場という認識がものすごく今は必要とされている。

一人一人の力が本当に発動していかないと今の組織では、今の一人一人の力が本当に泣いてしまっているような組織では何も創造していけないし、当然、収益というのはつくれない状況、それが問われているわけだね。マーケットからそういう力が問われているわけだから、そうするとそれは非常に重要な課題だし、そういう捉え方をして自分の会社を見ていかないといけない、自分のチームというのを見ていかなきゃいけないってすごく思います。

本当は彼女、彼らも人生の非常に重要な時間を過ごす場所ですから、そこで学びたいわけです。何を学びたいかというと、自分が何のためにここにいるのか。自分はいま何を自分の力で、誰のために何ができるのか。それをどういうように人に喜ばれることができる、その存在価値ですよね。

利益を生む。自分らが楽しんで利益を得る。お客さんに貢献して利益を得るゲーム。僕はそういう遊びだと思っています。





会社が成長していく過程でマネジメントの問題が起きる。という事です。
起こってから考えるか、起こる前に考えておくか。で違いますよね。

会社のステージ・ステージで起きる問題の対処法を考えておきましょう。

あなたの気付きもお気軽にコメント下さい。

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